昭和五十六年九月十八日 月次祭
                         宮崎正

 「おかげを受けてくれよ」と、天地の親神様が氏子にかけられる悲痛なまでのものを感じるお言葉です。「どうぞ、氏子信心しておかげを受けてくれよ」「お徳を受けてくれよ」。牛やら馬に信心せよ、と言うても出来ませんし、牛やら馬にお徳を下さるわけにはいけんのです。人間氏子でなからなければ、信心も出来ないし、お徳を受けることもできないのだ。氏子信心しておかげを受けてくれよと。
 ただ、そういう神の願いを受けて、教祖金光大神が、この世にお出ましになった。そういう神の願いを受けて、お取次ぎをして下さり、人が助かる。信心しておかげを受けてくれる氏子を願われる。そこで私どもが、信心して、おかげを受けて、そういう大きな神様の願いを受けて、また人に伝えていく、また人を助けていけれる働きが頂けるようになる。初めて神様のお喜びといや、そういうことだと思うんです。
 そこで、信心しておかげを受けてくれよ、というその信心を、合楽では、合楽理念に基づいて、合楽理念に基づいて、お商売をせよ。合楽理念に基づいて、子供の教育をさせて頂かねばならんと。もうすべて合楽理念をもって、言うならば一分一厘間違いのない働きと道が開けてくるんだぞと、合楽では説く訳ですから、いよいよ合楽理念の実験実証。もうその気になって実験すると、実証生まれてくるから、楽しゅうなってくる。
 最近、9月の3日に行われましたす、婦人大会の今度、5周年に当たるそうですから、5周年の記念大会に、大会のテーマが「不平不足を言わずにすむ信心生活を目指して」ということです。不平不足を言わんですむというだけじゃない。不平不足を言わずにすむ信心生活を目指そう、とこう。このことが一たび発表されましたら、婦人部の方達だけではない男子の方達でも、ほんとに素晴らしいことだと、だから特に婦人会の方なんかは、大会まではもうほんとに、不平は言うまい、不足は言うまい、思うまい。そういう修行に本気で取り組んでおられる方達が幾人もございます。大会の班別懇談の時には、もうほんとに、とうとい言うなら10日間なら10日間の信心の体験が発表できる。その気にならなければなかなか実行できません。そういう意味合いで、今度の婦人大会の盛り上がりを感じるような気がいたします。みなさんが言うなら10日も10何日も前から、それこそ取り組んでおられる。そしてやっぱり嬉しいんですね。昨日も、あやうく出ろうとした不平を不足を抑える。抑えるだけではない、
そのことをよくよく考えると、お礼を申し上げねばならないことに、不平不満を思うようなことがあると、昨日聞かせて頂いて、一日一日を締めくくった時に、心からお礼が申し上げられるというお届けが日々ここであるんです。信心して、とは、そういうことだと思うです。信心して、いわゆる不平不足を言わんですむ信心生活をひとつお互い目指さなければいかんのです。
 先ほど、梅山先生が前講にお話をしておりましたように、今度の総会の時の宝くじ探しのことを話していましたが、もうちょっとした笑い話のなかに、もう確かにその通りだと、神様がどうぞと言うて願うから、おかげをここに準備しておってくださる。松竹梅という一番最高の酒を、やろうと思うてござるとじゃけれども、ちょっと我情を出し、我欲を出し、それをいらんこと聞かにゃよかったけども、誰にでも秘密にしてある、何色が何ということを秦先生が教えたげな。秦先生達がくじを作っているわけです。だから、梅山先生、何色と何色がと、ピンク色は飴玉一ちょばいと言うたげなもん。それで、ピンクば一番ぐち見つけたばってん、こりゃ飴玉一ちょじゃけんて思うて、それをそして坂根先生に教えた。坂根先生はありがとうと頂いた。自分は他の色を頂いたけれども、その坂根先生が引いたのが13番で、松竹梅一本が当たった。それだけの話なんですけれども、先生がそこに非常に感じとる訳です。
 あれほど、成り行きを尊べとか、大切にさよとか頂いて教えられて、日々実験実証させて頂いているにもかかわらず、その時に限っては、そういうような失敗をした。おかげというものはこんなものだろう。神様が下さろうというのは、自分の心で押しやって、よその方へ回っていってしまっておる。神ながらに一番初めに目に止まった、はあ、神ながらとして、それを頂いておったら、梅山先生がお神酒を頂くことができたのであった。それを人に譲ってしまっておる。
 ですから、いかに私どもがね、その神様が下さろうとしておる、おかげを不平を言うたり、不足を言うたりして、また我情我欲を出して、それを頂き止めることが出来んでおるようなことが、たくさんありはせんかということでございます。それでね、結局、一つの理念に基づく生き方、生活というものが、いうなら身についてくる。
 今朝から、みなさんに聞いて頂いたことでしたけれども、2,3日前、直方の山本さん、お茶屋さんです。私に毎朝、お薄を点ててくださる方なんです。もうそれこそ、雪が降ろうが風が吹こうが、どういう時でも、何と言うでしかね、何とか越えを越えて、そしてもうこれこそ降っても照っても御参拝になります。そして必ず、その御用をして下さいます。もうほんとうにお父さんは癌で助からないところを助けて頂いた。お店はもうほんとうに、どうしてあんたん所だけがこんなに繁盛するかというように、繁盛のおかげを頂いて、というわけです。
 先日も在る方から電話がかかって来た。今日、お宅で、5百円のお茶を買わせて頂いたんですけれども、あんまりおいしいから、間違っているのじゃなかったでしょうかと、いいえ、間違っておりません。とにかく神様、お客さんに喜んで頂くことのためのお商売、合楽理念をもってのお商売。例えばお客さんから、そういう電話がかかってくるような、それはかかってこんでも、あそこは、とにかく実意だ、丁寧だ、品物が間違いないというような信用を段々受けていくから、次から次と繁盛のもとを作っていかれるんだと、こう思う。
 合楽理念に基づくお商売、そういう働きが店全体に起こってくる。商売人として、こんなに嬉しいことはない。お客さんから、お礼を言われる。どうでしょうか、もうあそこはいかん、実意がない、あそこんとは物が悪くて高いというようなことではなくてね、もうあそこで買ったら間違いない、それこそ、5百円のお茶だけれども、これは間違ってはおらんかというように、よく飲める。その辺の神様の働きが何とも言えんところですね。同じ日に、またお電話がかかってきた。これは自分のお茶の先生からであった。先日から、お宅で頂いた、いっぺん尋ねてみようと、思いよったけれども、お宅から頂くお野菜は、どうしたお野菜ですかと、電話がかかってきた。実はあれは、合楽にお参りさせて頂いて、あちらの御信者さんで、大変篤信の方がおられまして、その方から、いつも頂くもんですから、おすそ分けをいつもするのですよ、と言うて話したら、今度はチシャを上げられた。それがもうとにかくおいしかった。そりゃもうおいしいはずですよ。とにかくお野菜と話ができなさるような信
心をなさる方が作られたんですから、そりゃおいしいです。そうでしょう、いっぺん聞いてみようと思いよったと、いうよな電話がかかって、その日は、そういうような電話が2つかかってきてから、大変有り難かったと言うて、その翌日お礼のお届けがあっておりました。
 お商売をするなら、合楽理念をもってする、お客さんが、当然喜ばれる。お百姓するなら合楽理念をもってする。例えば同じようであっても、いうなら味が違うというほどしの野菜が出きるようなね、働きがあると思うんですよ、やっぱり。合楽理念をもって、子供の教育は。
 昨日、ここの合楽会でございましたから、みなさんの発表をいろいろ聞かせて頂いておりましたが、私は、そこのところを御心眼に、今、御結界に座っておるところを、長男の嫁と長女の聡子がね、二人で通っていく、それがお母さんが、あんまり急いで行くもんじゃから、急いで行くけんかどうか知らんけれども、自分なこちらの共励会のありよる方に、私の共励をしよるところへ、ちょこっと座ったところのお知らせじゃった。私は、そして、今の「教育は合楽理念をもってする他はない」と。子供がちゃんと、言うなら神様が教導してくださる教育でなからなければ、やりそこなう。
 これは一事が万事にですね、神様の働きを受けての教育、受けてのお野菜つくり、受けてのお商売ね、ですから、言わば合楽の御信者さんの場合は、どうでも合楽理念をマスターする。そしてそれを実験実証させて頂いて、言うなら水も漏らさぬおかげの、その気になったら、頂ける手立てが説いてある。それだけ、土の心でとか、成り行きを尊ぶという生き方に徹したら、もうおかげの  がないのです。
そこに我情を出したり、我欲を出したりして、飴玉いっちょじゃつまらんというて、他にいくところに、言うならば頂けるはずのおかげも頂けないということになるのです。
 今朝から、神様におすがりをするということ、神様にお願いをするということの、その内容がね、いよいよ整うてくる、受け物が出来る。今日は行橋の堀内先生が、お礼に、昨日も出てきました。昨日はある御信者さんが足の怪我をなさった。お取次ぎをさせて頂いておったら、朝、お礼に出て見えて、今日は今朝から、不思議な不思議なお夢を頂きました。「どこからとも分からんオレンジ色の光線が、私の足にバーッと注ぐように足に当たって、もうそれが気持ちのよいこと、気持ちのよいこと、もうほんとに有り難い、有り難いで目が覚めた」とこう言う。オレンジ色と言や合楽の色と言われるが、ほんとに合楽の御ヒレイが、私どもの願っておる、その足なら足の患部に、こう降り注いでおる、というお礼のお届けであった。これは昨日。
 今日もまた、ある御信者を連れて、お礼お届けに参りましたが、今日は懐妊のおかげを頂かれた婦人に対して、合楽理念を説かせて頂いた。そして腹帯をしないことを、金光教の教祖様は、信心の帯をせよと、腹帯はいらんと言うておられるからというて、腹帯をしないで、おかげ頂いた。ところが、今日のお届けを聞かせて頂きますと、もうこんなことがあるだろうかという、いわゆる無痛分娩というやつ、全然痛まずにおかげを頂いた。そういう隣知らずの安産のおかげを頂いた、というお礼お届けであった。行橋のお広前にだけ、どうしてそういう特別なごヒレイが頂けるのであろうか、輝くのであろうかと、私は、どこにでも誰にでも、合楽に縁のある人の上には、いつもオレンジ色の光が燦燦と降り注いでいると思うのです。言うならば、誰でもが無痛分娩のおかげが頂けると思うのです。その受け心が違うのだといことでございます。神様がそういうおかげを下さろうとするのを、自分の我情で我欲で、人情で、そういうことになる。
 今日は研修の前でしたが、「誠」という字、言遍に成と書いて誠と読む。それから、真心の真ですね。この字、どちらもまことと言うが、どういうふうに違うのだろうか。「人情から出るまこと、神情から出るまこと」と頂いたんです。私は意味が分からなかったけれども、さっそく佐田先生が字引を引いてくれました。その字引にはね、言遍に成と書いた誠は、人間が正直で実意で、言うこと、することに実意である、というのが、言ベンの誠です。これは、だから人情から生まれるまことである。ならこのまこととはどういうことかと言うと、仙人が心が昇華していく、言わば心が段々高められて、そして無くなっていく時の模様を真と言う。だからこれは、お教会でもです、人情的お取次ぎをなさる傾向の強い教会。合楽のように、まあ、言うなら人間心を使わない、神情一つでいく生き方。そしてみんなに私が申しますことは、金光様のご信心は、いわゆる生神金光大神を目指すことだと。
 合楽理念を行ずるということは、生神金光大神を目指す手立てなんです。まあ今日の字引の中で言うなら、仙人以上の仙人と言いましょうかね。人であって人であらず。言うならば生神金光大神の心の状態を目指して、不平不足を言わずに、思わずにすむ信心生活になっていく。しかもそれだけではない。その心がもう喜びに溢れてくる。喜びに満ちてくる。円いボールに喜びという字をたくさん書いて、コロコロ回すようなもの。どちらへころがっても喜びという字しか出てこんというようにです。ほんとに不平不足を言わんですむ信心生活。それが身について喜びともなり、それが段々大きく育っていくということ。生神への精進とは、そういうことだと思う。
 ですから、私どもが合楽理念の、いうならお百姓さんが、お百姓に専念する、合楽理念に基づいてのこと、先だって、福岡の川上さんだったでしょうか、以前ここにお参りしておった方が、この頃ある教会にまたお参りをしておられる。それで、その方が言われるのに、合楽で言われるのと、今、私がお参りしておる所の先生の言われるのとが違う。合楽では、信行、心行、家業の行と、こういわれる。表行は全廃。ところが、ここの先生は、家業そのものが御用だと思いよったところが、家業は御用じゃない、と言われる。賃金を取ってする仕事は御用じゃない。報酬を求めない。賃金をもらわない、教会でいろいろ御用させてもらう、これがほんとの御用であって、自分達がその、お百姓さんなり、商売なりで、言うならば、収益を上げていくための仕事は、もう御用じゃないと。
 「この方の行は火や水の行ではない。家業の行」とおっしゃる。その家業の行をね、言わば昇華していく。これだけ作ればいくらになるから、これだけ売ればいくら儲かるから、というものではなくてです。もうとにかく人が喜んでくださる。商売ならば、お客さんが喜んでくださる。お野菜を作るなら、人においしゅう、有り難う頂いてもらえるような野菜を作りたい、という一念で、いうならお野菜作りができ、お商売ができる。もうとにかくお客さんが喜んでくださるという所に焦点を置いての商売。それであって、私は言うならば、報酬を求めての御用じゃない。ただお客さんが喜んでくださる。人が喜んでくださる。世のため人のためになることのための自分の御用である。ということに、初めから、なかなかすっきりはできませんけれども、それが段々こうやってできてくるようになる。我情じゃない、我欲じゃない。お野菜作り一つでも、とにかくお客さんが、喜んでくださることのためにという内容になってくる時に、初めて家業そのものが、だからその先生が言われることも間違いじゃないと思
います。賃金とか報酬とかを当てにしてからの仕事は、それは御用じゃなか。御用と言うのは無条件の奉仕である。教会で、あなた方が一生懸命御用をなさる。それがほんとの御用だと。これは間違いない御用だろうけれども、その御用とてもです、こうして御用すりゃ、こげなおかげ頂くけんでといういうて、条件の御用だから、御用じゃないということになる。そうせずにはおれないというもの。合楽ではお互いの家業の行の昇華、家業の行そのものが、ほんとに神様の御用として、言うならば私用から御用へ変わっていく。そういう精進は、そのことだけに取り組むだけでなく、合楽理念に基づく、お商売ということになると、それがいつのまいか昇華されていく。人間の心が昇華されていく。同じ例えば心であっても、その心が有り難いとお礼の言えれれる心になってくる。総生神を目指すということは、合楽理念に基づけばである。
 梅山先生が発表しておったように、そのことだけに専念しておる、にもかかわらず、ちょっと言うならば遊び気分があったという。別に我情我欲というわけではなかったろうけど、その遊び気分が、ピンク色じゃつまらん、飴玉いっちょ、と思うたつがわるかった。はあ、これが神ながらと思って頂いとったら、それが13番で、それこそ神願成就のことになっとったんだけど、それを頂きそこねた、というまあ笑い話のようなお話ですけれども、もうこの通りだと思うんです。おかげを頂きたいなら、もうここまで、手に触れたような感じなんだけれど、それを流してしまう。こちらも残念なら神様も残念に思われることであろうと思う。そこに徹底していくいき方をいよいよ身に付けていきたい。
 昨日、合楽会で、みなさんの発表を聞かせていただいて、昨日は特に、それこそ今日一日の取り組みから生まれてくる体験を、みなさんが発表なさっておられました。特に私は感じましたのは、梶原先生、まあ兄さんの方かね、勝行先生が発表しておりました。ほんとに合楽でこうやって修行に専念させて頂いておる私達が、たくさんなご信者がある、信奉者の方たちのそれぞれの願いというものがある。それが、自分が一人不精、不精進になったら、そのご信者さん達のおかげに差し支える、かかわるというような、この頃思い方ができるようになった、と言う。
 油断ができん。自分一人の精進、不精進が合楽のヒレイにかかわる。言うなら教会を中心にした、一つの責任を感じる頂き方。自分が一人、お月次祭にお参りすることは、もう合楽のヒレイに、もう今夜はご無礼しようと、自分が一人お参りしなかったら、それだけの合楽のごヒレイが欠けるんだと思うような、言うなら教会中心に考えるというか、神様中心に考える、考え方ができてくるようになると、楽しいですね。
 「氏子信心しておかげを受けてくれ」と、こう。だから、どうぞその身から打ち込んでの信心ということにならなければならない。私は昨日、そうした、みなさんの、もうとにかく今日一日一日が実験であり、実証のお話を聞かせて頂いて、有り難いなあと、こう思うてお礼をさせて頂きよったら、飛行機じゃないけれども、飛行機のようなのが上を飛んでるんですね。高いところを、それにある人がぶら下がっているところを頂いた。「はあ、危ないな、あれじゃきつかろう」とこういう感じ。
 信心もね、昔は私はよく申しました。みなさんがぶら下がった信心は、私もきつか。ああた方もきつい。もう本気で、尻ひっからげて、言うならば填まらにゃいかん。もう負われるなら、いっちょおんぶして、抱かれるなり、おんぶされると、言うなら、私も楽だと、いうような意味のことを言ってましたけれども、昨夜のご理解から頂きますと、合楽では、今、どういうことになっとるかと言うと、もう人力に見切りをつけておる。言うなら言ベンに成るではなくて、この真一つでいこうとしておる。言うならば心が昇華していかない。生神に近づいていけない。人間心では、どんなにまことの篤い人だ、親切な人だと言うても、心が昇華していく、高められていくという、言うなら生神を目指す、という信心でなからなければ。だから、もう結局、人力には見切りをつけておるんだ。そして神力のすさまじさもわかって、神力のそのすさまじい働きに、おすがりする。そこから生まれてくる人力なんだ。だから5人、10人でもうきついと思いよったけれども、もうどれだけぶら下がっても、私はもうきついとは思
わないというおかげを頂いておるわけ。けれども私は、どれだけの人がぶら下がっても、きついと思わんけれども、下がっておる者自信が、きついんじゃないかということです。その飛行機なら飛行機のお徳に、やっぱ本気で乗り込ませて頂くということ。どうぞその身から打ち込んでの信心とは、そういうことじゃないだろうか。そこに私は、神様が願うておられる信心ができる。神様が願うておられるおかげをお渡しくださることも出来れば、またお徳を受けることも出来るという信心。
 自分達の行き方というものをですね、言わばこの人情のね、世界から神情の世界に変わって行く。先だって13日会の時に、伊万里の竹内先生がお参りしておられて、色紙を持ってきて、ある今度の転換期にわたってのことでしょうが、その心積もりというものを、何かここに一筆書いてくださいと、それなら、書いときましょうと、ここにとってるけども、毎日お願いするけれども頂かん。そしたら今日たまたま、甘木教会から、この頃青年会の時のの何かパンフレットのようなものを送って頂いた。それにこれは私、先日見せて頂いておりましたから、「天地そして人」でしたか。というのが、あちらの本に書いてあった。だからそこに、私が書いたのは「天と地とそして人と」と書いたんですね。そうじゃろ。そしてこれは竹内先生が頂きなさらにゃならんことは、神様も大切じゃけれども、人もまた大切にしなければならんというふうにも頂かれるし、「天地人一如」、私が言う。「天地そして人」と言うたら、天と地とが別々になった感じで、神様と人間が別々な感じでしょう。けれども、
それに、と、を入れると、段々それに近づいて、「天と地とそして人と」と入れましたから、何かそれに入っていける感じ。まあニュアンスが全然変わってくるわけです。で、私、色紙にも、そう書いて、それに説明をつけさせて頂いて、本とはこれは天地人一如の世界なんだ。ことだということを言ってやりましたけれども、もう合楽の信心はどこまでも、天地の中に介在するというか、人間が入っていく、溶け込んでいく。成り行きを尊ぶ、大切にするということなんかは、いわゆる自然を尊ぶ大切にすることである。言わば自然に溶け込んでいく行き方なんです。土の心というのは、もう土の心の中に溶け込んでいくのです。ですからね、天地人という、言うなら神の働きを十全に現していけれる信心なんです。だからどうでも成り行きを尊ぶ生き方に徹する、もう土の心に徹する、天の心に徹する。いよいよ天の心、麗しの心と言われるからです、まあ農業をしても、商業をしても、ただ自分の利益ということじゃなくて、人が喜んでくださることのために、それがそのまま神様が喜んでくださることだからという思
い方は、もう天地の、天と地とそして人ということになるんです。そういうもうそれこそ大変な、この方が祈るところは天地金乃神と一心なり、というほどしの信心に、お互いが目指していっておる。生神を目指していっておる。それには、この言ベンの誠ではなくて、心行、心が昇華していくいき方。言うなら人間が神様へ向かって進んでいく生き方を合楽では説くのです。もう人力には見切りをつけておるのです。だから神力の中に突入し、そこに人力のようであって、その人力は自ずと湧いてくる言うならば人力をもって、合楽教会はたっておるのです。
 そこでなら、合楽教会にご神縁を頂かれる方が、その信心を受けてくださる。どうぞ信心してと言われる、その信心を頂いてくださる。そして梶原先生じゃないけれども、自分達が真実、この合楽理念によって助かって、そしてこの助かりを人にも伝えていかなければならん責任を、みなさんが感じられるようになったら、信心がいよいよ本当のものになっていくことだろうと思うです。人の助かりがまた自分の助かりにもなっていくのです。
 いうなら合楽理念に基づく23日は御霊様の御大祭です。秋の霊祭がお月次祭にあわせて1時からでございます。合楽理念に基づく御霊祭りとは、どういうことだろう。一つ本気で、数日後に迫っている御霊様のお祭りを合楽理念に基づいて、みなさん今度の霊祭を拝みたいと思う。合楽理念に基づくとね、もうあんたが代表で参らんのと言われん。もうほんとに言うならば家族勢をそろえて、御霊様への奉仕というかね、ご参拝が出来るような、一つおかげを頂いてください。もう合楽では全てのことが、合楽理念に基づいてのことでなからなければ、合楽にご縁を頂いておる信心もまたはおかげも受けられない。そういうおかげを頂いて、それが人にも伝えていかずにはおられないというか。伝えていく責任というものが、感じれれるような。
 先だって、仙台から見えられたお医者さんでしたね、結城先生が昨日、あちらから、こんな大きなお供えがしてある、こんなに長い、なすびの漬物です。味噌付けとか、いろいろ二桶送ってくださってる、それからニンニクのね、紫漬けというのと、何とか漬けというのと、2つこう送ってくださっておる。先生が見えた朝の御理解の中に、言わばなすの御理解が出た。ニンニクのお話が出た。いわゆる世界万国津々浦々に、このなすの信心を、ニンニクというのは、自然に示すという字が2つも書いてある。これが大蒜という感じである。天地に示していかなければならないお互い、責任があるんだと、一人一人の合楽の信奉者がそれを感じて、合楽理念のマスターに一生懸命にならなきゃならん。そして合楽理念に基づけば、自分が喜ぶのではない。商売人なら、お客さんからお礼が言うてもらえるような、同じ野菜であっても味が違うほどしの、おかげの頂けれる働きが生まれてくるのです。そういうおかげを広げいく責任をめいめいが感じれるくらいな信心になられたら、神様もさぞかしお喜びくださることだと思
う。どうぞ神様が喜んで頂くような信心とは、みんなが言うのですけれども。自分が助かって、そして人にも助かってもらいたい。いや助かってもらわねばならん。そういう責任をね、感じるくらいな、一つおかげを頂いてもらいたい。
 梶原先生が、自分一人の修行が、もししだごだのことになってくると、ご信者のおかげに傷がつくといったような頂き方。これならほんとのよい修行が出来ることでしょうし、ほんとのよい修行ができることが楽しいのだ、有り難いのだという合楽理念に基づく、言うならばおかげが頂かれるわけです。
 どうぞ一つ自分の地区に、自分の周囲に合楽理念を広げていかねばならん責任を感じさせて頂けるような、一つ信心をして頂きたいと思います。
どうぞ。